金子みすゞさんの本日の詩は「かんざし」です。

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今日のみすゞさんのお話はかんざしということですが、当時(大正時代?)では大切な品のひとつでした。
しかし、それが子供から見たら遊び道具の一つになったりします。
遊び道具といっても子供からすれば、それはそれで宝物でもあります。

大人の価値観と子供の価値観とは当然異なりますが、ここかんざしと言うことになれば、どちらから見ても宝物に該当します。
でもそれを壊してしまったら、もう子供には責任は取れません。
ただただ黙って知らんぷりするしかありません。
だれも知らないのだから自分も知らないことに‥‥。(澪)

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金子みすゞさんの本日の詩は「電燈のかげ」です。

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「電燈のかげ」というタイトルですが、楽しいはずの遠足なのになぜこのような感情がうかんできたのでしょうか?
みすゞさんに関して言うならば、彼女は子供らしくみんなでキャキャと騒ぐようなタイプではなかったようです。
頭が良くて、いわゆるクラスの委員長を続けてきた、そしていじめなど決してしない心優しい人でした。
それだけに人知れず悩みを抱えていたのかも知れません。

私の様にぼんくら人間からしたら、才能豊かな人は感情の起伏も多々あったのではないでしょうか?
私は母が作ってくれた大きな大きなおむすびをほおばりながら、楽しく遠足を満喫してきました。
運動会なども、足が早くスターのような存在でしたから、楽しくてしかたありませんでした。
秀才でなかったことが私の大きな取柄で、音楽と体育はいつでもトップでした。
みすゞさんはまるでその逆だったようですね。(澪)

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金子みすゞさんの本日の詩は「お菓子賈ひ」です。

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今日のみすゞさんの詩のタイトルは「お菓子賈ひ」です。
みすゞさんは明治末期の生まれですが、昭和時代に育った私は、駄菓子屋さんの思い出は沢山あります。
最近、また当時の駄菓子を店頭に並べているお店をチラホラ見ることがあります。
でもやはり昔の頃のものとは違います。現代のものはイミテイションぽい感じで、うすっぺらです。
当時の駄菓子は、子供にとっては宝のようにキラキラ輝いた存在でした。
なにを買うか真剣に悩んだりもしました。


私がよく足を運んだ駄菓子屋さんで、「じいさんばあさん」と言うお店がありました。
それは決して本当の店名ではなく、ただおじいさんとおばあさんがお店をしていただけなのでしょうが、
子供はそのように呼んでいた訳です。
子供たちは自由な発想で、ニックネームや遊びをいろいろと考えつくものです。
昔の子供たちは現代の様に与えられたゲームに没頭するようなことはなく、自身で考えながら遊びを作り出していたような気がします。(澪)

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金子みすゞさんの本日の詩は「仲なほり」です。

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みすゞさんの今日の詩は「仲なほり」
この詩の途中に、4行の削除された部分があるのだそうだ。
それがこちら

きのふ、おとつひ、さおとつひ、
ものもいはずに、ゐたけれど、
なにかふしぎな、なつかしい
霞のなかに、とけてゐた。

ちょっと理屈っぽくなっていたのを、友だち同士にはそんな理屈はいらないということなのでしょう。

どんなことも許し合える、それが友だち、本当の友だち。
私も、そんなことが多々ありました。
そう、子供の喧嘩ってたわいのないものです。
親友といえる仲の友だちなら尚更です。口をきかなくなったとしても、何故か心が寂しくて何もかも忘れて口をきいている。
わだかまりが消えて元の仲に゙‥‥。
大人になると何故か元に戻るのは難しい部分があります。
そんな時、子供の頃のことを思い出して欲しいものです。(澪)

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金子みすゞさんの本日の詩は「小さい女の子と男の子」です。

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本日のみすゞさんの詩は「小さい女の子と男の子」ですが、当時は女の子と男の子の遊びや考え方がはっきりと分かれていましたね。上空よりまかれた宣伝用のビラをそれぞれ異なった遊びに使っています。
小さなころから男と女の違いを社会通念として植え付けられていたわけです。
現代は、男も女も自分の思い通りに生きて行ける時代となりましたが、当時はそうは行かず、みすゞさんは辛い思いをしたみたいです。
しかし、みすゞさんの頭の中はそんなちっぽけなものではなかったように思います。


本当に大事なものは目に見えない、これがみすゞさんの一貫した信念でした。それは他の詩を一つひとつ読んで行けば分かってきます。
みすゞさんのことを薄倖な童謡詩人と決めつけたのは西條八十である、という人もいます。
そう、みすゞさんは決して薄倖などでは無かったのでは、と私も思いたいのです。
そして、私たちの心に深く生きていてくれているのです。(澪)

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